≪みなさまと結びつきを密に≫長岡町報から長岡京Lifeへ 1号から67年間の宝物
長岡京市で暮らす方々が目にする、毎月みなさんの家のポストに届く広報紙「長岡京Life」が、2026(令和8)年1月で、第 1300号を迎えました。ナンバーリングが広報紙裏面下に小さく記されています。2009(平成21)年9月1日に第1000号、その 50年前の1959(昭和34)年5月1日、まだ『長岡町』の時に第1号が発行されました。今回、市役所が新しくなる節目にちょうど第1300号が発行となります。『長岡京市』になる以前からこのまちを知る私が、改めて市制50周年冊子を参考に自作年表を作り、このまちと広報紙の歩みを振り返らせてもらいます。
※本記事は、市民ライターが企画・取材・執筆しています。
※年表は、市民ライターが作成したものです。
※当時の広報紙の内容を引用した箇所は≪ ≫で紹介しています。
『長岡町報』第1号発刊に際して
1959(昭和34)年No.1【長岡町報】縦書き
人口13,589人、2,997世帯(昭和34.4.1)
1959(昭和34)年5月1日に発刊された長岡町報第1号 。1949(昭和24)年10月に新神足村 ·海印寺村·乙訓村が合併して長岡町となった10年後です。発行所は、京都府乙訓郡長岡町役場総務課。
そこに当時の中小路忠一町長の写真とともに、≪長岡町報発刊に際して みなさまとの結びつきを密にするために 長岡町報を五月に発刊する…≫とコメントが掲載されています。また、長岡町議会議長の言葉で、≪町の皆様も この長岡町報を十分活用されまして もつて 町当局と町の皆様がこの躍進長岡町を よりよい町 より住みよい町に仕上げるよう お互いに一致協力されんことを願う次第です≫ともあります。ボロボロに風化しつつありますが、市役所には第1号が大切に保管されていまし た。
≪みんなでよりよい町、より住みやすい町に仕上げる≫ために必要だった広報紙
No.41 【広報ながおか】横書き(写真右)
人口34,734人、11,844世帯(昭和42.7.1)
第41号で横書きの「ながおか」の文字に変更され、発行所が乙訓郡長岡町役場企画文書課に。
≪町立長岡中学校にて行政懇談会。道路舗装・衛生問題など活発な意見が出され、町政に対する理解を高めてもらう一方、町長自身が話し合い、住民からナマ声を聞き 今後の町行政に役立てます≫と記され、みんなが話し合い、意見を出し進める昔から素敵なまちだったと知りました。まちの発展をみんなで進め、その状況を伝えるために広報紙は重要な役割を果たしていたのでしょう。広報紙のことを、昔は予算の記事ばっかりと誤解していましたが、読んでみるとまちの1つ1つの発展、市へ成長していく歩みを感じ、保管された広報紙でその歴史を見られるのはすごいですね。
第1000号で紹介されている内容から昔の記事を見る
No.1000 【広報ながおかきょう】2009(平成21)年1月号
第1000号で紹介されている内容がすごい。広報紙の変遷から広報紙がポストに届くまでの流れが分かりやすく記されています。〖昔の記事からまちをみる〗と題された記事は、1000部目を通されたのかなと思うほどです。
No.102 1972(昭和47)年7月15日号
≪重大なことをきめる議会には、傍聴席が足りなくなることも。≫のそばに≪義理や人情をきっぱり断ちましょう≫の顔が描かれた風船の糸をはさみで切るイラストが。この内容を掲載する当時の広報紙もすごいし、再掲も素晴らしい。今回私もいくつかピックアップ… 。
No.170 1975(昭和50)年3月1日号
No.231 1977(昭和52)年7月15日号
No.407 1984(昭和59)年11月1日号
No.507 1988(昭和63)年8月15日号
◉バックナンバーの紹介◉
1996(平成8)年4月1日号第689号以降はバックナンバーが見られます。
『長岡京市 広報紙』で検索してみてください。 それ以前の広報紙は長岡京こらさ・長岡京市立図書館でも閲覧可能です。
広報担当 OBに当時の話を聞きました
梶原浩司さん 2002年~2008年の7年間広報紙編集を担当(写真左)
以前に広報担当として活躍された市役所職員さんにお話を聞かせていただきました。「喜ばれる職場に行きたい」と希望が叶い異動。当時担当は4人、熱い先輩と良いメンバーで取り組めたそうです。
当時、広報紙の編集 は、市役所で使っているWindowsとは異なるMacで作業。まずはパソコンの操作を覚えるところから始まりました。カメラは今と違いフィルムカメラ。現像するまでどんな写真が撮れたかわからないけれど、何枚も撮りすぎるとフィルム代が高くなるという葛藤もあったそう。
良い紙面を作成するために、情報収集に力を入れていました。レイアウトには著作権がないので、いろいろな雑誌などにも目を通したそうです。読者の目に留まって、読んでもらい、行動してもらう。そんな思いで紙面づくりに励んでいたと話されました。
梶原さんが手掛けた2005(平成17)年6月1日号 第907号が、京都府広報賞「組写真の部」知事賞を受賞。さらに全国3席に入選しました。
2ページ3ページの見開きに大きな写真。地面すれすれアングルでタバコの吸殻にピントを合わせ、そこからの近くの遊具で遊ぶ子ども達。インパクト有りますネ!
祝1300号 現在の作り手
他の地域では、一部を業者が作っている所も多々あるそうですが、長岡京市の広報紙は100%担当職員さんが手掛けられています。みなさん、税務担当やスポーツ担当などから異動して来ました~と聞きビックリです。24~28ページ、時には32ページに及ぶ紙面は、府内市町村等の優れた広報作品を選出する京都広報賞の府民賞を幾度と受賞されています。
「府民賞」とは、広報紙の読みやすさ、見やすさを専門家ではなく府民の投票によって決定する賞です。
受賞歴
2019(令和元)年8月号 第1223号
2022(令和4)年9月号 第1260号
2024(令和6)年3月号 第1278号
写真や絵をふんだんに取り入れ、読む人が実際に行動を起こしやすいよう工夫する、読者目線の紙面作りが評価されたようです。
そこで、広報発信課の皆さんに聞いたこだわりポイントは、"伝わらなかったら意味が無い"。読者に伝わるために、文字の大きさや太さ、文字と文字の間隔は見やすいか、表現は正しいか、そろっているか、余白がしっかりと取れているか、写真やイラストを使って目に留まるように、親しみやすいように、などを意識し工夫しているそうです。 気が付かなかった工夫がいっぱい有りました。
コロナの時期も、予定されていたイベントの中止で空いた紙面に、おうち遊びやマンガ、体操などとアイデアを絞り市民に寄り添い続けてくれていました。「読者からの声に励まされる」「喜ばれる職場でやりがいがある」と担当の方々は皆さん、いつもパワフルで笑顔でイキイキとされています。
令和3年度から「未来につながる 今をつたえる」の連載が始まり、 令和5年度からは「長岡京のきらり☆」が裏表紙に連載開始。市民ライターさんが1面を書くのも長岡京市だけだそうです。2025(令和7)年8月からは音声読み上げ、多言語表示に対応するなど≪みなさまと結びつきを密に≫≪よりよい町 より住みよい町に仕上げるようお互いに一致協力されんことを願う次第です≫と始まった第1号は願い叶って第1300号を迎えました。多くの方が発行に携わり、多くの方が協力し、多くの方が読み動いた67年間の歴史書の様な広報紙は宝物ですね。
長岡町の新庁舎建設時期に広報紙1号が発行され、時代が巡って長岡京市の新庁舎オープン時に1300号。次はどんな歴史が待っているのか。長岡京市はどんな歴史を作っていくのか?楽しみです。広報紙にその歩みの1歩1歩が刻まれています。
担当市民ライター:中西さゆり(ライターネーム:charko)
この地の発展と同時に成長した為、懐かしくどんどんと記憶と繋がりました。過去の紙面を振り返るとまちの発展や人々の暮らしが一望できます。広報紙は「市民の思い出アルバム」であり、次世代へつなぐ地域の財産ですネ。今回、この様なチャンスを頂き♡感謝♡
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