【インタビュー】細川忠興・ガラシャの子孫、陶芸家 細川護光さん

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公が明智光秀に決まり、その娘・ガラシャ(お玉)、細川藤孝・忠興父子にも徐々に注目が集まっていますね。

今回は細川家の子孫である細川護光さんに、細川家ゆかりの長岡天満宮でざっくばらんにお話させていただきました。

この記事を読んで来年の大河ドラマに思いをはせましょう!護光さん、ありがとうございました。

今年4月、竹・木工芸作品を制作する工房を地元長岡京に構える「高野竹工」が、陶芸家・細川護光さんを迎えた「古今知新工藝展」を長岡天満宮で開催。会場でお話をうかがいました。

細川家って昔は長岡さん?細川家と長岡京市との繋がりとは?

-本日は展覧会初日のお忙しい中、お時間を作っていただいてありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

護光 よろしくお願いします。

-護光さんは熊本から長岡京へ来られたとのことで、長岡京の印象はいかがでしょうか??

護光 穏やかな空気感がいいですね。住宅街なども落ち着いた雰囲気で、やっぱり京都に近いこともあってか文化的な香りもします。

-昨夜は長岡京へお泊まりになったそうで、名物は召し上がりました?

護光 そうですね、長岡京産のタケノコをいただきました。聞くところによると特別な栽培方法をされているとかで・・・。滑らかな舌触りと繊細な味わいでした。美味しくいただきましたよ。

-細川家といえば、全国的には熊本のお殿様というイメージなんですが、細川藤孝(幽斎)や忠興が長岡京市の勝龍寺城主だった時代もありますよね。

護光 はい、織田信長から今の長岡京周辺を治めるように命じられたということで、細川家が最初に手にした領地だったんです。

そのときに「長岡姓」を名乗るようになって、それ以来、熊本の分家筋でも長岡姓の方が割と残っておられるんですよ。

-そうなんですか!? そういえば先日、市内にある神足(こうたり)神社へ取材に行ったときに、細川家と一緒に九州へついて行った「神足氏」のことを教えていただきました。

今でも熊本に神足姓が残っているというような話を聞いたばかりで。熊本と長岡京の繋がりを感じます。熊本が一気に近くなった気がしました(笑)。

護光 それは知りませんでした。それにしても珍しいお名前ですね~。

熊本・水前寺公園にある「古今伝授の間」は長岡京から移築されてきたものですし。

-はい。長岡天満宮内の一角に、古今伝授の間の名残を伝える石碑が立っていますね。

護光 その石碑には父(細川護熙氏)が「温故知新」と記しています。

-平成24年11月5日にこちらで除幕式が行われた際、護熙さんにもご出席いただきました。

お母様の・佳代子さんには市で一番大きなイベント「長岡京ガラシャ祭り」の行列にもご参加いただいたこともありますよ。

護光 そのようですね。お祭りはいつですか?

―毎年11月の第2日曜です。700年経った今でも、かつてお殿様だった細川家をリスペクトするお祭りなんです。機会あればぜひお越しくださいね。

護光 はい、ぜひ(笑)。

-ありがとうございます。

ご先祖様が大河ドラマで描かれる気持ちって?

-昨年、2020年大河ドラマが、明智光秀が主人公の『麒麟がくる』に決まりました。よく考えると、細川家は明智光秀とも親戚なんですよね。なんだか、すごい。(笑)

長岡京市には主人公・明智光秀の娘のガラシャ(お玉)と細川忠興が新婚時代を過ごした勝龍寺城があります。また、光秀最後の戦い 「山崎合戦」の舞台ともなったことから、大河ドラマゆかりの地として注目が集まるのでは??と、期待が高まっています。

ネットでは準主役が細川藤孝(幽斎)だろうなんていう声もありますが。

護光 そうなんですか~(笑)。光秀と藤孝は同僚で、互いに武芸に精通していましたしね。

-ご先祖さまが大河ドラマに出てくるというのは、どういう気持ちでおられるのか歴史ファンとしてはとても気になります(笑)。

護光 小学校の頃とかはね、教科書とかで「細川」って名前が出てくる度に、友達から「ほーそーかーわー」なんて言われるのが嫌だったんですけど(笑)。

応仁の乱で京都を焼け野原にした話とかも出てくるので・・・。でも、今は全然、そういうのは気にしなくなりました。

-藤孝、忠興、ガラシャ…それぞれどんな人だったのか、想像されることってありますか?

護光 いろんな文献が出ているので、もちろん、それを読んだりしますけども、なんていうのか全体像が見えてこないというか・・・。ドラマでは人物像は脚本家が描いてくださるんでしょうけどもね。

僕は、この時代に生きていた人たちの精神状態みたいなものとか、苦楽とかは想像しづらいものがあって、そういったところに興味があります。

-どういう描かれ方をするのか楽しみですね。

護光 はい、そうですね。細川家はいろんな場所にゆかりがあるので、そういう場所へ訪れた時にいろいろと知識があるとおもしろいですよね。

-細川家ゆかりの場所へ出向くこともあるんですか?

護光 細川家はまぁお墓があちこちいっぱいあるんです(笑)。

-そうでしたね、京都の南禅寺 天授庵や建仁寺 正伝永源院、大徳寺高桐院、熊本泰勝寺・・・などが有名ですが、ほかにもたくさんあるんですね。ご先祖のお墓がこんなにもたくさんある方に会ったことないです(笑)。

護光 はい、菩提寺がいろいろと全国各地にあるもので。立ち寄った先に、お墓があれば時間を見つけてお参りするように心がけています。

-それは大変ですね~。そもそも細川家の発祥ってどこなんですか?

細川 細川家の元をたどれば、愛知県の岡崎市が発祥みたいで、今でも菩提寺があります。おもしろいのが、そこには細川さんだらけというか、細川町、細川小学校、細川山があって(笑)。どうやら岡崎の方で、細川という名前を名乗り始めたようですね。

陶芸家になるきっかけは曾祖父のつくった美術館「永青文庫」

-そもそも、陶芸家になろうと思われたきっかけってなんですか?

護光 もともと美術品など、とにかく古いものを見るのが好きだったんです。子どもの頃から。

-お家にたくさん美術品が?

護光 いえ、曾祖父が設立した「永青(えいせい)文庫」にありました。曾祖父(細川護立氏)が収集したコレクションと細川家にまつわる資料を展示した美術館で、東京の目白にあります。

長期の休みになると、祖父(細川護貞氏)を訪ねて熊本から東京へ。祖父が美術館の隣に住んでいたこともあって、祖父に館内を案内してもらってました。

-そうなんですね。永青文庫といえば、「青」という字は、青龍寺城(=勝龍寺城)が由来というのにも驚きました。

護光さんが焼き物をつくるようになったのはいつ頃からですか?

護光 通っていた高校の美術クラスで陶芸コースを選択したのがそもそものきっかけです。本格的に修行を始めたのは23歳のころです。

福森雅武さんという三重の伊賀に住んでいる陶芸家の影響が大きいですね。僕の師匠でもある人です。

あと、もうひとつのきっかけが、学生の時に白洲正子さんのところに下宿させてもらっていたことがあり、その時にいろいろと見せてもらったり、教えてもらったり。

白洲さんの場合だと、骨董を日常の生活で使っておられたんですよ。その影響か基本的に使えるものを作っていますね。

―細川藤孝(幽斎)や忠興(三斎)といえば、武士としても教養人・文化人としても優れた才能を発揮した、文武両道の武将として、調べれば調べるほどスゴイ人だったんだなーと。

そういった家でお生まれになったら、代々受け継がれる教育方針なんてあるのかな?と気になるのですが。

細川 すごくそれ聞かれるんですけど、ほとんどそれらしいことを父から教えられたことはないですね。うちの父なんかは、割と自由にやれみたいな。まぁ、自由にやれとも言われなかったですけどね(笑)。

小学生の頃は本当に遊んでばっかりでしたよ。テニスや野球とかいろいろスポーツもしましたね。

―お父様は湯河原に窯をもっておられますが、なにかアドバイスとかありますか?

護光 いやぁ、僕の方が先輩なんで(笑)。父親から影響を受けるってことはないかな。でも、同じ材料を使ったりするので情報交換はしますね。工房を借りることもありますよ。

―基本的に熊本のご自宅にある工房で作品作りされているんですか?

護光 はい、そうですね。湯河原やイギリスでも作りますが、ベースは熊本。泰勝寺というところに住んでいます。こちらも細川家の菩提寺で、藤孝夫妻、忠興、ガラシャ4人をはじめ代々のお墓があるんですよ。

千利休の一番弟子ともいわれた茶人だった細川忠興の原図に基づいて復元された

茶室「仰松軒(こうしょうけん)」。熊本・泰勝寺跡に立つ


護光 まだ泰勝寺が建っていたころ、住職と仲が良かった宮本武蔵がしょっちゅう遊びに来ていたんだそうです。武蔵が亡くなったときにはその住職がお葬式を執り行ったというエピソードも伝わっています。武蔵は剣術だけでなく絵師としても腕は確かでした。

-護光さんから聞くとリアル感がすごい・・・。

熊本、湯河原、イギリスと工房の場所を変えると作品にも影響がありますか?

護光 それは結構ありますね。熊本と仕事しているときと湯河原で仕事しているときではやっぱり全然気分も違うし。その土地土地で持っている雰囲気とかも違いがありますしね。

―違った土地に行くと内面が引き出されるというか・・・。別の自分に出会えるかも?と旅をすると私自身が思うこともあります。

護光 どういう場所でやるかっていうのは結構、大事じゃないかと思いますね。

「自然あふれる場所で子育てしたい」

―長岡京は京都や大阪へのアクセスも良く、豊かな自然もあるということで子育て世代が多く住まう町でもあります。護光さんが子育てで大事にされていることってどんなことですか?

熊本・阿蘇の自然

護光 僕は熊本の大自然の中で育ったので、子どもにも小さい時期をなるべく自然の中で過ごしてもらいたいなと思いますね。

できるだけいろんなもの見せてあげたり、いろんな経験をさせてあげたりしたいなぁと。日々、色々と工夫したり考えたりしながらやっていますが・・・。

―料理家の奥様・細川亜衣さんが泰勝寺跡でお洒落マルシェや料理教室を開かれていたりと、熊本で話題のスポットのようですね。

豊かな自然に囲まれて素敵な暮らしをされている様子をインスタグラムでいつも拝見しています。ちなみにご著書も持っています。

護光 ありがとうございます(笑)。

-最後に、今回の長岡天満宮で行われた「古今知新工藝展」では、次期細川家ご当主であられる護光さんと長岡京市の新しい繋がりの第一歩になったのかな?と思うのですが、そのように思ってもいいですか?

護光 そうですね(笑)、はい。

-細川家の歴史からお仕事、子育てまで、ざっくばらんにいろいろとお話いただき、そして貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。

護光 ありがとうございました。


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