間もなく卒業、そして入学シーズンですね。
長岡京の小学生といえばランドセル姿よりもランリック姿の方がおなじみですが、実はこのランリック、長岡京生まれだってご存知でしたか?
「遅れるで~」と毎朝バタバタの我が家。
しかし6年生の長女のランリック姿もあとわずかです…。
お話を伺ったのは、製造販売を手掛けるマルヤス(向日市)。ランリックのルーツは昭和40年代はじめにまでさかのぼります。その頃のランドセルといえば、新一年生には重く、品質にも差があっていじめの原因になることもあったそう。それを知り「新しいランドセルを作れないか」と立ち上がったのが当時の長岡第三小学校の校長先生でした。マルヤスの先代社長は手先が器用なアイデアマン。試行錯誤を繰り返すこと約1年、ランリックの原型となるバッグが生まれたのです。
実際に見せていただいた当時の商品は、黄色の生地は今より薄めで形はナップサックのよう。でも間違いなくランリックの面影が!さらに驚くべきはその価格で、当時5000円~1万円のランドセルに対して590円。「親の負担もなるべく軽く」という思いが伝わりますね。こうして完成したランリックは長岡第三小学校では昭和43年4月の新一年生から採用されて、乙訓や周辺のエリアの学校にも少しずつ広がったそうです。
昭和44年、「第8回京都府優秀発明工夫展」に出品されたランリック。
当時は「ボンリック」という名前だったんですね
どこからでも目立つ黄色い生地が選ばれたのは、安全を願ってのこと。当時は、車の普及とともに痛ましい交通事故が増えた時代。交通標識を思わせる黄色と黒の配色には、小学生を事故から守ろうという思いが込められていたのです。
これが今のランリック。A4サイズの教科書も収納できるなど、時代のニーズに応えています
商標登録第1121026「ランリック」、第4802704「ランリュック」
お話を聞いて、当時の先生や作り手の方の思いを知り、親としてもランリックに感謝しなければいけないなあと実感しました。子どもと一緒に毎日小学校生活を過ごしてくれたランリックに、あらためて……6年間、本当にありがとう!
あなたが不思議に感じている長岡京のハテナ?がありましたら、SENSE NAGAOKAKYO編集部まで(kotokatari.kyoto@gmail.com)お寄せください~。お待ちしております。
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