【長岡京ガラシャ祭コラム①】戦国家族はつらいよ~武士の息子はつらいよ編~

今年もいよいよ長岡京ガラシャ祭のシーズン到来です! 

ガラシャ祭といえば、祭りのヒロイン明智光秀の娘・細川ガラシャ(玉)と細川忠興のお輿入れ行列が最大の見どころ。今年2018年の巡行は11月11日(日曜日)ですよ。

華やかな装束を身にまとったお殿様やお姫様の姿はとっても優雅でステキ! 一度でいいからそんな身分を味わってみたい!などと思ったりしますが、戦国大名の家に生まれるって実は大変だったみたいです。

華やかさと勇ましさの影に潜む、戦国ファミリーのつら〜い実情に迫ってみましょう。まずは武将から^^


勉強漬けの毎日で“つらいよ”

戦国時代、大名クラスの武家に生まれた男子は、武芸と学問のダブル習得が必須でした。いずれは一族のトップに立つかもしれない身。武芸はもちろんのこと、他国の武将や公家らと渡り合えるだけの知識や教養を身につけておかねばならなかったのです。そのため大名子息の多くは、教育機関の役割を担っていた禅寺に幼くして預けられ、勉強漬けの毎日を送っていたとか。遊びたい盛り、甘えたい盛りに……つらかったでしょうね。

人生を選べなくて“つらいよ”

大名子息が大変なのは、勉強だけではありません。戦国大名はたくさんの子どもをもち、息子たちを跡継ぎにしたり、戦略的に利用したりしました。他国と同盟を結ぶときに、わが子を人質として差し出すことも珍しくありませんでした。また、後から生まれた男子は跡継ぎ候補からはずされ、出家したり他家の養子になったりすることが多かったのですが、長兄らが早逝した場合は、突如呼び戻されて当主を任されるといったことも。何番目に生まれようと、お家のために翻弄される人生だったのです。

大人になっても“つらいよ”

さすがに大名まで昇りつめれば、自由を謳歌できるのでは?と思いきや、そうでもなさそうです。戦国時代初期の武将・北条早雲が残した家訓には、朝は寅の刻(午前3時〜5時)に起床して、行水をし、神仏に礼拝。その後、身支度を整えて、家の者に様々な指示を出し、午前6時に城に出仕するように、とあります。仕事が終わるのは午後2時頃。それから早めの夕食をとり、午後6時には戸締りや火の元の点検をして、午後8時頃に就寝するのが常でした。すき間時間も領地の管理や客の接待、和歌や茶の湯などの習得に励まねばならず、のんびり昼寝などをする時間はなかったようです。あぁ、武将って本当に大変!


武家の男子は子どものときから想像以上にハードな日々を送っていたんですね。長岡京ゆかりの戦国武将、明智光秀や細川藤孝(幽斎)、忠興(三斎)親子もたくさんの努力と辛抱を重ねてお家と領地を守ったに違いありません。

さて、次回は「武士の娘はつらいよ編」と題して、細川ガラシャが生きた時代のお姫様にクローズアップしますので、こちらもお見逃しなく!

□■infomation■□

長岡京ガラシャ祭2018 

11月11日(日曜日)行列巡行

イラスト:かたおか朋子

出典:成美堂出版『戦国の合戦と武将の絵辞典』より

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