【前編】東京五輪メダリスト山西利和選手の“陸上の原点”は長岡第三中にあり!

長岡京市出身の夢を叶えた人や、長岡京市を応援してくれる企業のみなさんが「夢サポーター」となり、イベントなどを通じて市民のみなさんに夢と活力を届けてくれる市制50周年記念夢プロジェクト。そこへついに、世界の第一線で活躍するあの方が来てくれました!

東京オリンピックの陸上・男子20km競歩で銅メダル、世界陸上2019・2022の同種目で見事二連覇を果たした山西利和選手です。
日本陸連が年間で最も輝いた選手を選出する「アスリート・オブ・ザ・イヤー」の受賞(2022)や、世界陸連のアスリート委員に日本史上2人目の当選など、いまや陸上界を牽引するトップアスリートに成長した山西選手が、陸上人生のスタートを切った母校・長岡第三中学校(長三中)を訪問。市民のみなさんと交流を深める「トークライブ&ミニ競歩対決」が開催されたのです! 

センス長岡京では、またとないこの機会に山西選手の独占インタビューを実施。前編では、中学時代をよく知る恩師や親友から事前にうかがったエピソードに触れながら、陸上人生の原点に迫っていくことに。
さらに、お話の中では、文武両道を貫いた山西選手ならではの、勉強やスポーツに関するアドバイスをうかがうこともできました。
次回後編では、「トークライブ&ミニ競歩対決」の模様をお届けします♬ 

(プロフィール)
山西利和(やまにし・としかず)

1996年生まれ。長岡第三中学校出身。愛知製鋼株式会社所属。中学から陸上を始め、高校で競歩に出合う。2021年東京オリンピックで第3位(男子20km競歩)、2022年世界陸上選手権大会で優勝(男子20km競歩)など、世界規模の大会で輝かしい成績を収める。  


山西選手の陸上との出合いに迫る!サプライズも 

――今日はイベントのためにはるばる愛知県からお越しくださり、ありがとうございます。久しぶりに訪れた母校(長三中)はいかがですか?

僕が通っていた頃とほとんど変わっていなくてほっとしました。線路沿いの校舎の眺めも、部活のときに着替えをしていたグランド脇の倉庫もそのままで、昔に帰ったような気持ちになりますね。 

(キャプション)長三中すぐ近く、小畑川沿いもかつてのトレーニングコース。春を迎えると満開の桜と黄色いカラシナに彩られる。

――山西選手は幼い頃にご家族のお仕事の関係で一度長岡京市を離れ、中学1年のときに戻ってきたそうですね。陸上部に入ろうと最初から決めていたんですか? 

そうですね。昔から球技は苦手でしたが、陸上に関しては小学校の頃にマラソン大会で10位台に入ったことがあって、長距離走には少し自信があったんです。なので、中学時代は3,000mや駅伝などの長距離種目に取り組んでいました。 

――入部して間もない頃、乙訓駅伝に出場したことは覚えていますか? 実はそのときの山西選手のことをとってもよく覚えている方がいまして。 

僕自身、その大会のことをあまり覚えていないのに……どなたでしょう。 

(キャプション)山西選手の恩師、今西先生。

――山西選手が中学2年になった年に長三中に赴任され、陸上部の顧問を務められた今西先生です。前年まで今西先生が率いていた西ノ岡中の陸上部は、乙訓駅伝で長三中の6区を走った山西選手に競り負けてしまい、長三中がそのまま優勝。西ノ岡中は惜しくも準優勝となり、大変悔しい思いをしたそうです。 

陸上部でお世話になった今西先生のことはよく覚えています。先生は赴任前から僕のことに気づいてくださっていたんですね! 当時の長三中には僕よりも実力のある選手が何人もいたので、僕はノーマークだったのではないでしょうか。

(キャプション)山西選手インタビュー取材の前に、編集部が今西先生にこっそり事前取材。そのときの写真を見た山西選手が「懐かしいですね~、お元気そうで嬉しいですね」と。

今西先生が来られてから、練習の仕方がガラッと変わった印象があります。部員が50人くらいいたんですけど、長距離と短距離に大きくチーム分けされて、顧問の先生も2人体制に。僕たち長距離チームを指導してくださったのが今西先生でした。
走りのフォームや筋肉を意識したトレーニング方法を教えてくださったり、基礎体力を上げる練習メニューを用意してくださったりと、当時としてはかなり先進的な取り組みをされていたと思います。真剣に楽しむということを教えていただきました。 


世界に通用するマラソン心臓を鍛えた、思い出の練習コース 

(キャプション)急な坂を上った先にある、西山体育館からの眺めは絶景。比叡山が見渡せる。

――練習メニューの中で特に印象に残っているものは何ですか? 

ランニングですね。最初はグラウンドをぐるぐる回るだけのしんどい練習でしかなかったんですけど、今西先生が校外を走れるようにしてくださったおかげで、しんどいながらも楽しめるようになりました。
長三中を出発して、長四中、西乙訓高校を経由して西山体育館で折り返す片道約3.5kmのコースが定番で、体育館の手前の長い坂道を上りきったあとの達成感は格別でした。あの坂道でずいぶん心肺機能が鍛えられた気がします。 

(キャプション)柳谷観音(楊谷寺)と言えば花手水が全国的にも有名。長三中から約6㎞の距離にあり、西山の山中に位置する。

――今西先生も「マラソン心臓を鍛えるためにアップダウンの激しいコースを走らせていた」とおっしゃっていました。 

アップダウン、激しかったですね(笑)。たまに柳谷観音のほうまで足を伸ばすこともあって、あそこへ着くまでの坂道もなかなかハードでした。それでも、グラウンドを淡々と走っているより何倍も楽しかったです。
大きな声では言えませんが、疲れたらペースを落として友達とおしゃべりしていましたし(笑)。 

――部活をともにしていた親友の中村さんによると、校外ランニングの途中で迷子になったり、小泉川の飛び石を踏み外して川に落ちてしまったりと、チャーミングな一面があるようですね。また、通り過ぎていく車のナンバーを見ては因数分解をしていたというお話もうかがいました。

(キャプション)柳谷観音を源流とする小泉川。ホタルの名所でもある。

中村君はそういう細かいことをよく覚えているんですよね(笑)。どうでしたかねぇ。記憶にないんですけど、どれも自分がやっていそうなことばかりです(笑)。
 迷子の件については、長岡京市に引っ越してきたばかりで道をよく知らなかったからです、と言い訳させてください。お陰様で中学の3年間で道を覚えました。 

――中学3年で部活を引退したあとも、自分で練習メニューを決めて毎日走っていたそうですね。高校進学後も陸上を続けるつもりで鍛えていたんですか? 

受験勉強の合間に気分転換として30〜40分走っていただけですよ。もちろん、高校でも陸上をやりたいなとは思っていました。中学では満足のいく成績を残せなかったこともあり、自分の中でやりきったという気持ちになれなかったので。ただ、中学時代にのびのびと陸上を楽しめたのはすごく良かったなと思っています。 


高校で競歩に出合い、文武両道アスリートの道へ!

(キャプション)高校時代の山西選手。

――その後、堀川高校の陸上部で「競歩」に出合ったわけですね。 

たまたま競歩をやっている先輩がいて、顧問の先生から「君もやってみたら?」と勧められたのが始まりでした。競歩は高校から始まる種目なので、勝ち目があるんじゃないかな......なんて思いも湧いてきて、長距離と並行して競歩に取り組むようになりました。 

――実際に競歩に挑戦してみて、どんなところに魅力や面白みを感じましたか? 

競歩って見るからに地味ですし、走りのようなスカッとする面白さもないんですけど、一から動きを覚えていき、どうすればよりうまく体が動かせるのかを考えるのが楽しいですね。考えて実践して、良い成績につながるとさらに楽しくなる。それでどんどんのめり込んでいったんでしょうね。

(キャプション)大学時代の山西選手。

――めきめきと力をつけて、高3のインターハイでは優勝も果たされました。一方で、勉強のほうも手を抜かず、京都大学に現役で合格されています。スポーツと勉強の二刀流を目指した理由を聞かせてください。

高校受験の段階で京都大学を目指していて、競歩を始めてからもそれは変わりませんでした。仮に競歩のトップ選手になれたとしても、30〜40代で競技人生を終えることになるので、そのあとの人生を考えたら、いろんな選択肢を持っておくのは大事だなと思って。
高校自体が文武両道を大切にする校風で、部活は毎日2時間程度とそれほど長くはないんですが、その分中身の濃い練習ができるように、顧問の先生がメニューを考えてくれていました。 

――ハイレベルな文武両道ですね。どちらも努力が必須なのは言うまでもありませんが、長期間、努力し続けるためにはどうすればよいのでしょうか。秘訣などがあればぜひ!

期日の決まった目標を立てることでしょうか。たとえば、高校のインターハイは開催時期が大体決まっているので、そのときどのくらいのレベルでいたいという目標を立てておく。そこから逆算すると、今どのくらいの位置にいなくてはいけないか、何が足りていないのかが見えてくるので、やるべきことも明確になり、モチベーションを保ちやすくなると思います。言うのは簡単なんですが、本当に難しいことです。 


世界での活躍の原動力は“諦めない心”

(キャプション)胸元に輝くのは東京オリンピック銅メダル。

――大学でも文武両道を貫き、卒業後は実業団選手として陸上の道へ。決断の背景にはどんな思いがあったのでしょうか?

大学の4年間で徐々に成績が伸びていき、もっとチャレンジしてみたいという気持ちが高まりました。先ほども言ったように競技人生は限られているので、自分の可能性を信じて20代30代のうちにできることを精一杯やろうという思いで決断しました。

――自分を信じてチャレンジした結果、日本勢初の世界陸上2連覇、東京オリンピック第3位など、さらなる飛躍を遂げられました。これまでを振り返って、やってきてよかったと思うことはありますか? 

自分でやると決めたら、目標を持ってチャレンジし続ける。そういう姿勢を貫けたことが一番よかったと思います。苦しいときは何度もありましたが、諦めずにやりきったことは、その後の成長の糧になるんだなと実感しています。 

――諦めずにチャレンジを続けたからこそ、今の山西選手があるんですね。そんな山西選手の活躍を長岡京市民は誇らしく思い、同時にたくさんのパワーをもらっています!

こちらこそ、いつも応援していただいて本当に感謝しています。中学時代にお世話になった先生方をはじめ、多くの方の支えがあって自分の道を突き進むことができました。現在は愛知県を拠点に活動しているため頻繁に帰れないのですが、大会などを通じて成長した姿をお見せできればいいなと思っています。 

――ここに注目してほしい!といった、競歩に対するこだわりポイントを教えてください。

競技である以上、勝つことが最も重要ではあるんですけど、勝負の白黒をつけることでしか自分がやっていることを計れないのは寂しいなと思う瞬間もあって。

ただ勝つためだけに毎日練習を続けられるほど僕はストイックでもありませんし、勝ち負けとは違うところで自分の「色」を出すことを一つのテーマに据えています。たとえば無駄のないフォームを追求するとか、自分なりの捉え方・考え方を歩きの中で表現していきたいですね。


のどかでありながら活気のある長岡京市が好き 

(キャプション)毎年4月末には長岡天満宮八条ヶ池のキリシマツツジが見頃を迎える。

――もし長岡京市内でトレーニングをするとしたら、どこを歩きたいですか? 好きな場所や景色を教えていただけたらと。

そうですね、やっぱり西山体育館に行ってしまいそうですね(笑)。京都市内まで見渡せる坂の上からの景色が好きでした。あとは、八条ヶ池の周りを歩くのもいいですね。春は桜、初夏はキリシマツツジ、秋は紅葉と、季節の変化が感じられてリフレッシュできます。
こうして思い返すと、暮らしやすいまちだったなぁと改めて感じますね。のどかでありながら活気もあって、まち全体が明るいイメージです。街中の歩道がもう少し広かったら、言うことありません(笑)。 

――いつの日か、いま挙げていただいた場所をコースに盛り込んだ“山西杯競歩大会”が実現しないかなぁと夢みてしまいます。それでは最後に、今後に向けての意気込みをお願いします。

 今年(2023)ブタペストで行われる世界陸上、そして来年のパリオリンピックでの金メダル獲得を目指して、今年一年を充実したものにしていきたいと思います。勝負の結果はもちろん、先ほど触れた自分らしい表現にもこだわって練習を重ねていますので、その辺りも注目していただけると嬉しいです。今後とも応援のほどよろしくお願いいたします!

――長三中時代の知られざるエピソードから、競歩の魅力や目標達成の極意まで、興味深いお話をありがとうございました。さらなるご活躍を期待しています! 

次回後編は、インタビュー後に行われた「トークライブ&ミニ競歩対決」にフォーカス。山西選手の温厚なキャラクターが突如一変した(⁉️)貴重なシーンに注目です♪

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