戦後80年の節目を迎える今夏。長岡京市にお住まいの児童文学作家、あまんきみこさんのご自宅を訪ね、インタビューを行いました。代表作の『ちいちゃんのかげおくり』、満州での体験に基づく最新作『さくらがさいた』など戦争を題材にした作品への思い、そして今、子どもたちに伝えたい平和の尊さについて伺いました。
記事の最後には、あまんさんのサイン入り絵本のプレゼントも!ぜひご応募ください。
長岡京市で生まれた代表作『ちいちゃんのかげおくり』
今年8月に94歳を迎えるあまんきみこさん。「数えてみたら長岡京市に暮らして49年になるんですよ。へぇ、そんなになるんだって自分でも驚きました」。おっとりとした話しぶりが、あまんさんが紡ぎ出す物語の温かな雰囲気とリンクします。
「旧満州に生まれて15歳の時に日本に引き揚げてから、大阪、東京、仙台、福岡とあちこちで暮らしましたが、このまちが一番自然豊かで住みやすいですね。歩いて買い物に出かけていた頃は、いつも長岡公園や長岡天満宮を通って季節のお花を眺めたりしていたんですよ」
そんな穏やかな日常を送りながら、あまんさんは数々の作品を生み出してきました。そのなかでも1982年発刊の『ちいちゃんのかげおくり』は、あまんさんが初めて「戦争」をテーマに書き上げた作品。国語の教科書でこの物語を読み、戦争の恐ろしさや悲惨さを教わったという人も多いでしょう。
あまんさんは、執筆の経緯を次のように語ります。
「私の子ども時代はずっと戦争でした。過去は振り返らず、前を向いて歩いているつもりでしたが、ある時ふと気づいたんです。私にとって戦争は、人生の一部なんだって。
人生って木の年輪みたいに、芯のところから幼年期、少女期、青年期と順に重なっていくもので、私たちはそれらを全部持って生きている。子ども向けの話を書く人間として、自分の芯のところにある戦争と向き合おうと思ったことが、“ちいちゃん”の物語につながっていきました」
あまんさんの元にはたびたび、授業を通じて“ちいちゃん”と出会った子どもたちから「初めて戦争を知りました」という手紙が届くそう。「本当にわかるのはもっと先でしょうけれど、きっかけのひと滴になればいいなと願っています」。
「ようやく書けた」自伝的な作品で伝えたかったこと
『ちいちゃんのかげおくり』の発刊から40年近く経った2020年、あまんさんは子ども時代に暮らした旧満州の大連での出来事を題材にした絵本『あるひ あるとき』を、さらに今年の春にも同様のテーマで『さくらがさいた』を出版しました。
絵のタッチやストーリーは異なるものの、どちらにも戦争に巻き込まれた子どもの切ない思いが描かれています。
この2作品についてあまんさんは、「書きたい気持ちはずっと持っていたけれど、どうしても書けなかったの」と、長く葛藤を抱えていたことを明かしてくれました。
「大人になって自分で調べるまで、私は満州のことを何にもわかっていなかった。日本は平和のために正しいことをしているんだと教わっていましたから、中国の人たちを隅に追いやっていたことも、日本が戦争を仕掛けていたことも、全部あとで知りました。
ショックでしたし、知らずにいたことがものすごく恥ずかしかったです。長い間、その思いを拭いきれずにいましたが、80歳を過ぎてやっと書けました。戦争に巻き込まれるのはいつも罪のない子どもたちだということを、感じ取っていただけたらうれしいですね」
終戦から80年が経った今でも、世界では戦争や紛争が絶えません。あまんさんは、そんなニュースを見るたびに「胸がギュウッとなる」と言います。
「こないだも、ロシアの女の子がプーチン大統領を称える詩を捧げている様子がテレビに映っていて、私の子ども時代とおんなじだと思いました。戦争っていうのは、どちらもお互いに自分たちが正しいと言って、それを自国の子どもに信じ込ませる。ああいう子どもの姿を見ると、日本の戦時教育が思い出されて胸が苦しくなるんです」
あまんさんは戦争に翻弄される子どもたちに心を寄せ、彼らが子どもらしくのびのびと成長できる平和な世界を願い続けています。
一生懸命に思えば、道は開ける
あまんさん自身は、どんな子どもで、その後どのように児童文学作家としての道を切り開いていったのか、これまでの歩みについても伺いました。
「子どもの頃は7人家族でした。祖父母、両親、叔母2人とひとりっ子の私。身体が弱く病気ばかりしていたので、窓の形に区切られた空を見ていたことが多く、本を読んだり、空想にふけったりして、甘やかされていたと思います。私が19歳の時、母がガンで永眠し、20歳で結婚しました」
その後、あまんさんは夫の転勤で東京に引越し、上の子が小学校、下の子が幼稚園に通い始め、時間にゆとりができたのをきっかけに、高校時代の受験勉強を始めたのだそう。
「戦争中は学校の授業も不規則で、満足に勉強できませんでした。もっと勉強しないと、いろいろなことがわからないと思ったんです」
結婚前に母を亡くし、子育てに不安を抱えていたあまんさんは、日本女子大学児童学科の通信教育部に入学。ある時、自身の子どもたちに自作の物語を読み聞かせていることをレポートに書いて提出したところ、担当教諭から「ここへ行ってみなさい」と児童文学者の与田準一さんを紹介されます。
やがてあまんさんは、与田さんの勧めで『びわの実学校』という童話雑誌に作品を投稿するようになり、1968年、同誌に掲載された作品をまとめた『車のいろは空のいろ』で作家デビューを果たしました。
「物語を書いたり、それを読み聞かせて子どもを喜ばせるのが楽しくて続けていたら、いつの間にか作家になっていたという感じ。でもそれは、私ひとりの力ではなくて、与田先生をはじめたくさんの方と出会い、その方たちからいろんな道を教えてもらったおかげなんです」
そして、人生の新しい扉を開く原動力となったのは、「思い続けること」だった気がすると言います。
「人間って一生懸命何かをしたいと思うと、見えることがある。私の場合は、とにかく勉強がしたいと思っていたら、たまたま新聞で大学の通信教育があるのがわかって、これならできるかもって一歩踏み出せたの。年齢なんて関係ないです。心の底からこれがしたいという気持ちがあれば、そこにつながる何かにきっと出会えますよ」
あまんさんの言葉は、私たちへの力強いエールのようでもありました。そうして誰もが夢や目標を持てるのは、世の中が平和であってこそなのだと気付かされます。その尊さを、子どもにもわかるように伝えているのがあまんさんの作品です。
戦後80年の夏、あまんさんが心を込めて紡ぎ出した新旧の絵本を開いてみませんか?
読者プレゼントのお知らせ
この記事を読んでくださった方の中から抽選で3名様にあまんきみこさんのサイン入り絵本をプレゼントします。
『ちいちゃんのかげおくり』2名様、『さくらがさいた』1名様
【応募方法】
長岡京市ホームページの下記申し込みフォームからご応募ください。
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsform/enquete.php?id=678
応募の際は、ぜひ、あまんきみこさんへのメッセージをお寄せください。
【応募期間】
8月12日(火)〜9月10日(水)23:59まで
【注意事項】
サイン入り絵本のタイトルはお選びいただけません。
当選は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。
抽選結果についてのお問い合わせにはお答えいたしかねますので、ご了承ください。
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