寺嶋智美さん
京都府長岡京市に、50年という長い歴史を持つ少年少女合唱団があるのをご存知ですか?
「子どもたちに歌う楽しさを伝えたい」という、一人の女性の熱い思いから始まった歌声は、今や二代目指揮者である娘へと受け継がれ、地域に温かなハーモニーを響かせています。
創立50周年を迎える長岡京市少年少女合唱団の軌跡を、指揮者・寺嶋智美さんの言葉とともに紐解きます。
*この記事は、市民ライターが企画・取材・執筆しています。
歌声の種が乙訓に「合唱団の誕生」
1976年3月に行われた第一回演奏会の様子(上)
1991年7月長岡京市少年友好使節団として姉妹都市の寧波市を訪問(下)
長岡京市少年少女合唱団が誕生したのは1975年12月。当時、乙訓地域には子どもの合唱団がなく、「歌う楽しさを次世代に伝えたい」という岡田美智代さんの思いから創設されました。岡田さんは、現指揮者・寺嶋智美さんの母でもあります。
保育園園長として子どもや保護者と信頼関係を築いていた岡田さんは、「自然に集まって歌える場所をつくりたい」と考えました。吹奏楽が盛んなまち・長岡京市に誕生した“子どもの合唱団”は、設立からわずか4か月で第1回演奏会を開催し、その様子は新聞にも大きく取り上げられました。
合唱団は設立当初から、発達の個性や生きづらさを抱える子どもたちも受け入れ、誰もが安心して参加できる場に。今も大切にされている“多様性を尊重する姿勢”は、創立当初から変わらず受け継がれてきたものです。
つながりが響き合う場所
市内の数々のイベントで活躍しています
合唱団のもう一つの特徴は、保護者も一緒に歌う“親子参加型”のスタイルです。一般的な習い事では送迎のみという場合が多い中、「せっかく来たなら、一緒に歌いましょう」と自然に声がかけられ、親子での参加が当たり前になっていきました。
卒団後も保護者が歌い続ける「合唱団モナミ」も生まれ、子どもたちの成長を見守ってきた親同士が、人生の節目を語り合う場にもなっています。
団員は長岡京市内にとどまらず、向日市・大山崎町・京都市などからも参加し、地域の垣根を越えた広がりを見せています。また、誰もが居場所を感じられる“サードプレイス”としての役割も大切にされており、コロナ禍には長岡天満宮で距離を保ちながら練習する場面もありました。
「合唱は、人と人が“リアルに”響き合うことに意味がある」と寺嶋さん。画面越しでは得られない音の重なりや息づかい——その瞬間にしか生まれないつながりを、子どもたちに体感してほしいと語ります。
現在は光明寺音楽祭やバンビオのイルミネーション点灯式など、年間10回ほどの地域イベントに出演し、歌声をまちに届け続けています。
現在は50周年記念コンサートを準備中
コンサートのチラシと練習風景
今年、合唱団は50周年を迎え、節目を祝う「創立50周年記念つながるコンサート」に向けた準備が進んでいます。
今回のステージには、創設者・岡田さんが立ち上げた「長岡京市民コーラス」「童謡コーラス四つ葉会」のほか、「MOTHER GRACE」「EMI DANCE STUDIO」「チェリッシュクラブ」「長岡京音頭保存会」など、寺嶋さんと関わりのある地域団体も多数出演します。
また、伴奏を務めるのは、寺嶋さんの姪であり、岡田さんの孫にあたる八木美春さん。長岡京市少年少女合唱団のOGでもあり、世代を超えたつながりが感じられる場となりそうです。
コンサートは四部構成で、観客席からも思わず口ずさみたくなるような、「手のひらを太陽に」「さんぽ」など親しみある楽曲も登場。会場には車椅子利用者のための専用席が設けられるなど、多様な来場者に配慮した準備も進められており、誰もが心地よく楽しめるコンサートを目指しています。
寺嶋さんは「この舞台を一度きりにせず、“子ども楽団コンサート”として来年以降も継続したい」と話します。音楽で地域と人をつなげたい——その思いが言葉の奥に込められていました。
母の歌を受け継ぐ寺嶋さんの思い
バンビオイルミネーション点灯式(上)とクリスマスコンサート
寺嶋さんは神奈川県の高校で音楽教員として、吹奏楽部と合唱部の指導にあたり、関東・全国大会にも出場。演奏技術だけでなく、ステージ演出にも力を注いできました。
2015年に長岡京に戻り、母・岡田さんのあとを継いで指揮者に就任後は、踊りながら歌うスタイルや、子どもたち自身が振り付けを考える場面を取り入れるなど、前職での経験を活かした“楽しさのある音楽づくり”を実践しています。
「喋ることが苦手だった子が歌で思いを伝えてくれた」「最初は戸惑っていた子が、堂々と挨拶しステージに立つようになった」そんな一人ひとりが輝ける場をつくっていきたいと話します。
卒団生には、農学部で環境保全を学ぶ学生や、看護師・保育士を目指す子たちも。「心に触れる言葉やメロディーに出合って、夢を開拓してくれているのだと思います」と寺嶋さん。
母が生前最後に歌った「マイウェイ」は、今も深く心に刻まれているそうです。「歌は、生きる力」その信念のもと、これからも子どもたちに寄り添っていきます。
最後に
「大人が“交流しましょう”と形だけ整えるのではなく、子どもたちの中に自然に芽生える関係こそ、本当の交流」という寺嶋さんの言葉が印象的でした。
夏の練習日、室内に響く歌声に包まれたとき、ふと心がゆるみ、胸の奥が温かくなるのを感じました。ぜひ9月のコンサート会場で子どもたちの歌声に耳を傾けてみてください。
担当市民ライター:宇津亜季 「このまちで紡がれる物語を言葉にのせて届けます」
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